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沖縄慰霊の日、体験者や残された方々の願い [沖縄慰霊の日]

きょう6月23日は
沖縄慰霊の日。


握れば拳、開けば掌


沖縄の未来 こちらから
 ↓ ↓ ↓

徹底討論 沖縄の未来 沖縄大学地域研究所叢書 / 大田昌秀 〔単行本〕



不戦伝える営み今年も


平和の礎付近は
午前中から込み合い、
遺族や修学旅行生らが
続々と訪れた。

近隣の鎮魂の塔と組み合わせて
巡る方々が多い。


糸満市国吉 白梅之塔
戦後一体で収骨された真栄里の
住民や日本兵が約1500柱が祭られる。


「次に戦争がまたあっては
ならない」


遺骨戻らぬ父に祈り

魂魄の塔 糸満市米須

約3万5千柱の遺骨を祭っている。

家族連れが相次いで訪れる。

「吹き飛ばされた亡くなり、
木に引っ掛かっていた。」
長寿を願う母は97歳まで生きた。
「母は父の倍、生きられた。
そのことを見守ってもらったように、
沖縄に造られようとしている
新しい米軍基地を造らせず、
また戦争が起きないように、
いつも拝んでいる。

そしてずっとここ(魂魄之塔に
来られるよう、
私の健康も見守ってほしい」



兄の無念、忘れぬ


礎に刻銘されし叔父に
供花。



父に孫の誕生報告



「米軍が上陸したら、
沖縄はもう駄目かもしれないってよ」。

沖縄での地上戦が始まる
1945年3月、
大西正子さん(82)=那覇市
当時13歳。

父親が兄にそう話していたのを
覚えていた。


それを聞いた兄は
「そんな話をしたら憲兵に
首をきられるかもしれないから
やめた方がいい」とたしなめた。

私の母も同様に、
みんながみんな
少なからず似たような体験をされている。

逃げ惑う家族。

砲弾が飛び交う中、
逃げ惑う。


逃げる途中
生きている保証はどこにもない。

生かすつもりもない
砲弾の数。


大西さんは
親族13人が
「平和の礎」に刻銘されているが
いまだに足を運べないでいる。


怖い

まず

事実が怖いのだ。


「名前を見つけるのが
怖くてね。
生きているうちに一度は
行こうと思っているんだけど・・・」


慰霊の日は
毎年自宅で静かに
手を合わせている。


語りたくない。

そっとして欲しい。

心理的ストレス。。。


精神的ストレスでは
済まされない。

一生引きずる心の病。


これを

これを


世代交代
の時期に

喉元過ぎれば

なんとかじゃない。。。


辺野古移設というよりも
新基地建設という
また同じ事を
考え、
死ぬのは県民ということを
忘れたかのような
知事発言。


県外でもなく
県内でもなく

国外という
時代にしなければ

国際社会では
どうかと思う。






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